斎藤は耽けた。

日常で思いついた話とか、日記のようなもの。

 

ブログは基本的にネタが切れているものである。しかし確か私が生まれて初めてのブログというものを書いた時は書きたいことが沢山あったことを覚えている。それは私が人生で得た情報というものが誰かを救うと勘違いしていたからであろうと思う。だからそれは少しだけ人から評価をもらったりしたことがあったが、だがしかしそれは偽善に過ぎなかったとも思っている。現に、内容ではなく人から評価をもらったことを強く覚えているのだから、結局その行為の根底にあるのはどうしようもない自己顕示欲なのだろう。今は特にこのブログに関しては自己顕示欲というものはない。セラピーに近い。思考は脳内で行うものだがこのようにログが残る思考法は自らの様々を記録するに容易く思考の整理もしやすいからである。もちろん、これを誰かに読まれるつもりはない。だがしかし一応twitter上にいるSTのペルソナは外さぬようにしている。STではない書き物はまた別の方にやはり沢山ある。そうやってやはり沢山あるものは私の心の中に層となり澱となり積もっていきやがて美味しい伊達巻になってくれるだろうと思う。伊達巻が好きなことを闇雲にバラすのは良くないのは分かっているがこれを通して誰かが私に伊達巻を奢ってくれたら、ただ困惑するだけだろう。なので忘れて頂きたい。私は伊達巻よりも土地を奢られたいな。

 

そういえば皆さんは病気になったことはありますか。持病とかなかなか辛いですよね。心臓系だと体育が出来ないし、骨格系でも体育は出来ませんね。酷い場合ですが。呼吸器系も体育は出来ませんね。そう考えると体育という授業は選ばれた者のみが味わえる奇跡のような授業なのではないでしょうか。体育ではなく勇者学とかにした方が良いと思います。もしそうだったら私は率先して勇者学の履修をやめていたと思います。私にとって体育は地獄でしたし。そうです、私もかくいう元持病持ち。なぜかドクターストップを自ら破り体育をやっていたんです。嫌いだったくせに。不思議ですね。もしも体育が勇者学ならば私はさながら偽勇者であったでしょう。偽勇者は成敗されるもので、まあ私は結構成敗されていました。今でも身体を動かすのは嫌いではないですけどね。でも身体は相変わらず弱いのでほどほどって感じです。あとこのブログの秀逸なところが今露見しているので書きたいんですけど、このブログにはSTに用意された5つのペルソナの内3つが現状露出しているのですよ。この一記事で。凄くないですか?自画自賛は犬も食わぬ、ですね。

 

では、ここまで書いたので本編へと行こう。果たして本編とは。それはつまりセラピーにおける本編でありこれこそが私を癒してくれるのだ。

 

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昔、僕は猫を飼っていた。毛が長くてケセランパサランが命を宿したかのような猫だ。誰にも言わずに飼っていた。何年も。

彼は、もしくは彼女はとても静かな猫だった。猫というにはあまりにも自制が上手な猫で、本当に何も欲しがらなかったし黙って僕のそばにいた。

ただ僕はそれが少しだけ寂しかった。何年も一緒なのはわかるし、いつだって猫の温もりとか優しさを感じられたんだけれど、やっぱり僕は小さな子供だったから喋りたかったし一緒に遊びたかったしその猫の感情を知りたかった。

でも、猫は寡黙だった。猫じゃらしを見せてもゆっくりと瞬きを繰り返すだけで、餌も水も知らぬ間に飲み食いしてた。話しかけても特には返してくれなかった。

ただ、眠る時と寒い時だけ猫は僕の胸へと身体を預けてきた。少しだけ重たくて苦しいけれど、僕はそれがとても嬉しくてただそのままにしていた。その重さは僕にだけ向けられたもので、それはとても素直に幸福だった。嬉しかった。つまり僕は、どんなに寂しい日でも寝る時はその猫の重さのおかげで幸福だったんだ。

 

ある日、僕はひいばあちゃんの家に遊びに行くことがあった。僕はいつも通り猫を抱えて遊びに行った。抱えてと言っても、猫はいつも僕の胸の中にいるから離れるなんてことはないんだけれど。

とにかく、僕は猫と一緒にひいばあちゃん家に遊びに行った。そしてそこで初めてベッドを見つけたんだ。古いスプリングの、埃まみれのベッド。ひいばあちゃんはそれを見た僕の肩に手を置いて

「これをトランポリンにして遊ぶと楽しいのよ。」

と言った。

僕は思わずはしゃいじゃってベッドをトランポリンにしてぴょんぴょん飛び跳ねた。何度も、何度も。

舞った埃は日光に照らされてきらきらと綺麗で、スプリングはそれを讃えるように歌っていた。それにつられたのか、僕の胸の中の猫も、にゃーにゃーと嬉しそうに声を挙げた。

僕はなによりも猫が嬉しそうなことがとても嬉しくて、何度も何度も飛び跳ねた。

もっと埃は舞って、スプリングは歌って、猫はつられて歌っていた。

でも猫は途中で声が枯れてガラガラ声になっていった。そして疲れて僕の方へと体重を載っけてきた。寝る時とか寒い時よりもずっとずっと体重を載っけてきた。

僕もなんだか疲れてしまって、埃が舞う部屋の中で横になった。

「いつもより重いよ。」

と猫に言ったけれどやっぱり猫はそのまま僕に身体を預けていた。重くて重くて僕は肩で息をする、その度に猫の「ゼヒュー」という鳴き声が漏れる。

それからしばらくして、急に静かになったのを心配したひいばあちゃんが僕の様子を見にきた。

するとひいばあちゃんは青ざめた顔で急に電話を掛けて、僕はそのまま救急車で運ばれて、薬を飲まされて、それからは猫はいなくなってしまった。

ひいばあちゃんやおばあちゃんに猫をどこにやったのか聞いても首を横に振るばかりで、猫の名前以外は何も教えてくれなかった。今どこにいるのかも、これからどうなるのかも、何も教えてくれなかった。だから僕は猫の名前だけは忘れないでおこうと思う。

猫の名前は「ぜんそく」っていうらしい。