斎藤は耽けた。

日常で思いついた話とか、日記のようなもの。

トランク、懐古。

 

さて、初詣にでも行こうか。私はここで生きているから。

 

いい感じですね。本編行きましょう。これも昔に書いたものですね。

 

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2016年の、冬みたいに寒い秋が来る少し前のある日に、キャメル色の革トランクを恋人に買ってもらった。僕はその恋人に僕のより小さくて安い同じトランクを買ってやった。僕のサイズなら彼女のノートパソコンが入るからそれを買ってあげてもよかったんだけど、それを買ってあげられるほど僕は裕福ではなかったし、少し小さなトランクの方が少し背の低い彼女には合った。

「時代遅れで、品がありすぎて、普段使いは難しいかもしれないけれど、このトランクに似合う大人になりたいね。」

なんて言い合って、僕らは、同じ時にトランクのある生活を刻み始めた。

それからというもの、僕は、彼女が北の寒い土地に帰ったあとや、深い夜、そんな底知れない絶望が来る度に僕はトランクを撫でて、自分を慰めた。

その恩を返すように僕は毎晩トランクをブラシと布巾で磨いた。

どんなに研いでも、磨いても、トランクの傷は校庭の足跡とかとは違って全然消えないし、手入れに慣れてない時に出来た保湿クリームの染み、撫でるごとに付く彼女とお揃いの指輪の軌跡、自転車のカゴに入れてた時代の名残りを示す潰れた角に、しばらくトランクにベルトを付けないで使ってなかったから出来たトランクとベルトの色の違い、なんてのは消えるどころかどんどん目立っていった。それ以外にも色々な失敗がトランクに刻まれた。

自分色に染まるようで嬉しいと最初はトランクの傷を歓迎したけれど、北の地域から帰ってくるたびに輝きを増す彼女のトランクを見ると、その気持ちは薄れていった。

同じトランクを買ったはずなのに、僕が上手にやれないせいで出来る証みたいなものが彼女のトランクにはなくて、まるで彼女が上手に手入れしたところだけきちんとトランクが記憶しているみたいだった。僕のトランクには、成功なんて刻まれていなかった。

時折、羨ましくって、彼女が寝てる間とかに小さい方のトランクを手に持って姿見の前に立ったりしたけれど、僕はひょろりと長いから、やっぱり小さなトランクは似合わなかった。

時が経つにつれて、彼女のトランクは魔法みたいに美しく均等な経年変化をした。僕のとは対照的だった。

でも、僕が手入れをしなかった日はなかった。
底知れない絶望が来るたびに頼ったのは酒でも友人でもなくトランクを撫でることだった。

美しい経年変化をすることが出来なくても、傷が無数に出来ても、他の人がもっと上手にトランクを手入れしていても、どんなに自分の失敗を悔やんでも、それを捨てて視界の外に追いやるなんてことはしなかった。

でも、2085年の、彼女が斎藤の墓に収まってしまってちょうど一年の、桜の咲いた今日、僕はついに、どちらのトランクにも布巾すら滑らせることが出来なくなってしまった。僕しか住んでないこの家で、思考を文字化してくれるこのデバイスで、これを書くのが精一杯だ。身体はもう全然上手く動かせない。そろそろ僕も死んでしまうのだろうが、それは、別に構わない。僕のトランクはこのまま僕の隣で少しずつ輝きを失っても良い。ただ、彼女のトランクだけは、息子達に託しておけばよかった。彼女のトランクは、本当に美しいんだ。

 

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